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一勇斎国芳 大判三枚続 刊年:弘化四年(1847)〜嘉永五年(1852) 版元:和泉屋市兵衛 絵師紹介

 勘助は自分が提案した作戦(啄木鳥の戦法)が失敗したことに責任を感じ、討死に覚悟で大奮戦をして壮烈な戦死を遂げた。その最後は当時の講談、歌舞伎、あるいは人形浄瑠璃などの影響で、劇的なものとして描かれている。勘助の人気は、武田・上杉両雄を凌ぐほどにもなり、その歴史から 離れて縦横無尽な活躍をし、かえってその実在さえ疑われるほどであった。勘助の実在は、信玄が勘助に作戦行動の伝達を託した書状が発見(1969・昭和44年、市河文書)されたことから明らかになっている。

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