永禄四年九月川中嶋大合戦
《クリックで拡大》 山本勘介入道晴行小高き丘にて馬蹄をやすむる図 Next次を見る

一勇斎国芳 大判三枚続 刊年:安政元年八月(1854) 版元:不詳 山本屋平吉
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絵師紹介

 軍師山本勘助の討ち死に直前の姿を描いた作品。三河吉田(豊橋)の出身で、信玄に請われて武田家の軍師に付き、数々の戦功を上げたものの、永禄四年の川中島合戦にて討ち死に。作戦失敗の責任をとったものとも言われている。千曲川沿いに勘助落命の地といわれる場所が、今日でも伝承として残っている。江戸時代に起こった川中島合戦ブームのおり、勘助の 活躍が過度に誇張されたことから一時はその実在が疑われたこともあったが、昭和四十四年に、菅助と明記された弘治三年(1557)六月二十三日付の信玄書状(市河文書)が発見され勘助の実在が証明された。
 様式的構図の多い川中島合戦の浮世絵の中で、リアルな表現を採る国芳らしい迫力に満ちた作品である。

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