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川中島合戦史跡巡り
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 鬼児嶋弥太郎の墓   <飯山市> アクセス

■英岩寺





 上杉謙信の家臣児嶋弥太郎は、その武勇のために「鬼児嶋」と称せられた。永禄四年(1561)九月十日の川中島の大激戦は、前年上杉軍が有利に戦を進め、後年は武田軍の優勢のうちに、謙信は主従数騎のがれて安田の渡しにさしかかった。伝承によれば、この時謙信に従う者児嶋弥太郎ただ一騎であったと言う。千曲川を渡った謙信主従は追手を遮るため渡し綱を切って落とし、市の口から小佐原にさしかかったが、弥太郎は前日来の深傷に耐えかね、主君の無事を祈りながら割腹して果てた。鬼児嶋弥太郎最期の地というので、後年この地を鬼が峯と呼ぶようになったと伝えられる。この児嶋弥太郎の墓は、鬼が峯と数百メートル隔てる英岩寺墓地に文禄四年(1595)、弥太郎ゆかりの者によって建てられたものと推定される。

(飯山市資料)


※安田の渡し付近には現在「綱切橋」と名づけられた橋が架かり、木島平方面への交通の要所となっている。長野新幹線の高架がすぐ上を通り、飯山駅がその先に見える。

■鬼児嶋弥太郎の墓


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